C5345号機

 C53形式は国産唯一の2-C-1(先台車2軸、1750ミリ動輪3軸、従台車1軸),3シリンダー、テンダー(炭水車)付きの蒸気機関車です。昭和3年(1928)から6年(1931)にかけて97輌製造されました。煙突は装飾の無いスッキリした直線、ドームは1つで小型なのが外見上の特徴です。このドームは蒸気ドームで、次のD50形にある砂函ドームに相当する部分は側歩み板の上にボイラーを挟んで左右2ヶ所に設置されています。

 これは、それまでの客車牽引用SLに比べて大型化したボイラーを、直径1750mmの動輪上に設置することで機関車全体の重心が高くなることから、走行の安定性を確保するために砂の重量を分散しているとのことです。このことは学芸員の伊藤忠章さんに伺いました。側面写真が撮れないので分かりにくいかと思います。ご勘弁下さい。

山田哲郎
 11月3日、京都梅小路蒸気機関車館に行きました。1日~2日に広島で旧友達との集まりがあった帰りです。主なお目当ては久し振りにC53形とD50形の蒸気機関車(以後SLとします)に逢うことでした。鉄の塊みたいなSLに逢うだなんて気障だねと言われそうですが、中学2年の夏大垣で初めて見た特急「つばめ」を曵くC53の颯爽とした走りぶりと、関ヶ原の急勾配に立ち向かう後部補機D50の逞しさからは、他のどの機種にも増して強く印象付けられたからです。

 2日の晩は新大阪駅近くのユースホステルに泊まりました。「梅小路蒸気機関車館」の開館は9:30ですから、なまじ京都市内に宿をとるよりもこの方が便利と考えたからです。蒸気機関車館は京都駅で山陰線(愛称嵯峨野線)に乗り換えて一駅目の丹波口駅下車徒歩15分です。入り口の柵はまだ開いていませんでしたが、よく晴れた休日とあって親子連れが大勢開館を待っていました。

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車庫内に並ぶSL
齢八十各駅停車の乗り鉄旅日記
 特筆すべきは1925(大正14)年に自動連結器が採用されたことと、空気ブレーキの普及により圧搾空気によって連結器の解錠ができるようになったことで、この機構により勾配を登りつめた後部補機が走行しながら離れることができるようになりました。
 
 D 50は1931(昭和6)年までに380輌が製作され、四国を除く全国の幹線に配置されて主に重量貨物列車の牽引に従事しました。戦後になると余剰になったD50を地方線区に転用することになり、国鉄工場で従台車の1軸を2軸に変えて軸重を軽くし、D 60としました。現場で働いているD 50を私が最後に見たのは、昭和41年9月に早池峰山と薬師岳に登った帰り、遠野から釜石に出て山田線に乗った時でした。

 D 50が廃止になった最期は筑豊本線で、最後の1輌D 50140号機が此処梅小路蒸気機関車館で動態保存されています。
 (参考文献:鉄道ジャーナル通巻494号「国鉄近代蒸気機関車の系譜4 D50形式」

 梅小路蒸気機関車館本館では資料展「特急『つばめ』80年の軌跡」展が開催されていました。私はこれを興味深く見たので次回改めてご紹介したいと思います。

 本館内の展示を一通り見てから旧操車場の扇形車庫(重要文化財)と転車台のある広場に出ました。折りしも構内のレールを走る「SLスチーム号」の8630が発車準備中で、煙突から煙を、シリンダーから蒸気を出しています。
 扇形車庫にズラリと並んだSLには圧倒されます。その機種を逐一述べることは私にそれだけの知識が無いのと紙面の制約もあるので、C5345号機とD50140号機についてだけ述べることにします。
D 50140号機

 ニックネームはデコマル。大垣から関ヶ原までの勾配をC53形の曵く特急「つばめ」の後部補機として活躍したことは前にも述べました。この役割は大垣・関ヶ原間だけでなく、昭和9年(1934)12月1日に丹那トンネルが供用開始されるまで東海道本線だった、現御殿場線の国府津と沼津にも配備され、御殿場の勾配に対し後部補機として活躍していたのです。

 D 50形式は大正12年(1923)から制作された過熱式貨物用テンダー機関車です。 軸配置は先台車1軸、1400mm動輪4軸、従台車1軸の1-D-1で、これも側面の写真が撮れないのでご勘弁願いたいのですが、外見上の特徴は煙突に鍔状の装飾が付いていること。煙突の後ろのドームは2つあり、前の小さい方が蒸気溜め、後ろのやや大きい方は車輪の空転防止用にレールに撒く砂が入っています。フロントデッキに横位置に載っているのは給水加熱器です。

                    梅小路蒸気機関車館にC53形とD50形を訪ねる


                                 
     その1
 構造上は左右両サイドのシリンダーの中間にもう1基のシリンダーを持つ3シリンダーです。この構造は当時世界各地で流行しており、日本もこれに倣ったとのことです。しかしメンテナンスが面倒なことからC53形に採用されただけでその後の機種に使われることはありませんでした。

 C 53形は東海道本線と山陽本線以外の路線を走ったことはありませんでしたが、戦中戦後の酷使が祟って、昭和25年全車が廃車になり解体されました。
 ただ45号機だけは赤錆のママで吹田教習所に、次いで鷹取工場で保管されていたのを、たまたま大阪の交通科学館に展示することが決まり、国鉄鷹取工場によって補修され自力走行可能な状態に復元されたのでした。
4 D50140号機
 数次の構内走行試験の後昭和36年9月20日鷹取・吹田操車場間往復の本線試運転が行われ、3シリンダー特有の排気音を響かせたのでした。

 まるで見ていたようなことを書きましたが、実は私はこの本線試運転の時に録音した走行音のLPレコード(キングドキュメンタリーシリーズRAIL WAY SAUNNDS IN JAPAN CCH-610)を持っていて、時々その音を聞いて楽しんでいます。上記の説明の一部はそのジャケットにSLの写真家として高名な西尾克三郎氏が書かれたものを参考にしました。
C5345号機
 正面に見える木造瓦葺きの重厚な建物は旧二条駅舎を移築した本館です。梅小路蒸気機関車館は昭和47年(1972)10月10日、日本の鉄道開業100周年記念事業として旧国鉄によって開館しました。当初は大正から昭和にかけてのSL 16形式でスタートしましたが、現在は17形式19輌を保有し、そのうち7輌が動態保存されています(入場記念券による)。お目当てのC53 45号機は、これに先立つ昭和37年(1962)1月に開館した大阪の「交通科学館」に静態展示されていたのがこちらに移されました。

牽引準備中の8630機