アジア、身の丈に合った時の流れ

                                               
神長幹雄 (山と溪谷社)


 今からすでに10年以上も前のことになるが、私は東南アジアの小さな国々を好んで旅をしていたことがあった。ほとんどが仏教国であった。

 東南アジアの国々には、日本からほどよい距離にあるという地理上のメリットがあった。それほど長い休暇を取る必要がなく、会社勤めの私にとってはありがたかった。時差が少ないのも体にやさしかった。しかし、そうした物理的な条件よりも、その国のふつうの人々の暮らしや文化に大いに興味をそそられていた。

 その国の街で、まず一番に行く場所があった。人々が集まってくる市場と、鉄道やバスのターミナル駅である。東南アジアに特有の「混沌」が好きだったからだ。地元の人々の活力、バイタリティのなかに身をおく幸せを感じていた。一方、都会から一歩郊外に出ると、その「混沌」とはまったく対極にある「静謐」に包まれていた。そこにはゆったりとした時の流れがあった。これもアジア特有の、なんとも心地のよい時の流れだった。

 都会の「混沌」にあっても、郊外の「静謐」にあっても、流れる時の速さはたいして変わらないような気がした。そこに暮らす人々の生活のリズムとたいして違わないからだ。しかも彼らは、必ず自然と調和しながら暮らしていた。それは東南アジアだけでなく、山の民、ヒマラヤ山麓のインド、ネパール、ブータン、そして草原のチベットやモンゴルも同じだった。

 アジアに特有の、生活のリズムに合った時の流れに身を任せる幸せを感じて、私のアジア通いは続いた。
’80 KAMINAGA ASIA
バングラデシュの旅

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